今日は、このお花を見ながら大正ロマンに浸ってみましょうか・・お便りは、Mさんからです。
朝陽が昇る頃 キーンと頬が引き締まる様な空気の中、歩く道端に咲いてます。月見草?宵待草かな?一日を優しくしてくれます。撮り方は変わらず下手です。
先日、友人との谷汲山の戒壇巡りで初めて
『鍵』に触れて来ました。
数人の中で私一人でした。
今まで何回も体験しましたが縁が
ありませんでしたが何という事でしょう。
いい事あるのかしら?
戒壇めぐり・・本尊の下の真っ暗な
狭い廊下を一周する途中に大きな南京錠の
ような鍵があり、それをさわると
ご利益があるそうです。
ほんとに真っ暗で一寸先も見えない所での
偶然の(宗教的には必然の・・かも)出会い
なのできっと良い事があると思うよ。
そして写真の花ですが・・
大正ロマンの竹久夢二の詩「宵待草」を
思いますが、実は、宵待草という植物は
ありません。
植物学的にはマツヨイグサ(待宵草)が
正しく、「ツキミソウ(月見草)」などと
同種の、群生して可憐な花(待宵草は黄色、
月見草は白~ピンク)をつける植物。
夕刻に開花して夜の間咲き続け、翌朝には
萎んでしまうこの花のはかなさが、
一夜の恋を象徴するかのようで、
後には太宰治も好んで題材とした
富嶽百景 「富士には月見草がよく似合う」。
この花は、一体どちら?なのか
この写真では判断出来ませんけど・・
夢二も初めの頃は「待宵草」と題していたのに
途中から「宵待草」とタイトルを変えた
様です・・ゴロの良さを選んだ様に思えます。
原詩は、少し長くて・・
宵待草
遣る瀬ない釣り鐘草の夕の歌が
あれあれ風に吹かれて来る
待てど暮らせど来ぬ人を
宵待草の心もとなき
想ふまいとは思へども
我としもなきため涙
今宵は月も出ぬさうな
そしてお馴染みの宵待草・・・・
待てど暮らせど来ぬ人を
宵待草のやるせなさ
今宵は月も出ぬさうな
となって完成します。
そしてこの詩は、秋田県の少女との
夏の出会いと別れが創らせた詩なのです。
では、皆さんも明治43年の房総半島へと
旅立ちましょう!
1910 年(明治43年)夢二27歳の夏・・・
前年話し合って離婚したにもかかわらず、
よりを戻した岸たまきと2歳の息子虹之助を伴い
房総方面に避暑旅行する。
銚子から犬吠崎に向かい、あしか(海鹿)島の
宮下旅館に滞在した。
ここは太平洋に向かう見晴らしの良さで、
明治から多くの文人が訪れた名所である。
たまたま当地に来ていた女性、
秋田出身の長谷川カタ(賢:当時19歳)に出会う。
彼女は、成田の高等女学校の教師である
姉のところに身を寄せていたが、
長谷川一家も秋田から宮下旅館の隣家に
転居しており、夏休みに家族を訪ねて来て、
そこで夢二と出会ってしまう。
親しく話すうち彼女に心を惹かれ、
夢二は呼び出してつかの間の逢瀬を持つ。
散歩する二人の姿はしばしば近隣住民にも
見られている。
しかし結ばれることのないまま、
夢二は家族を連れて帰京する。
カタも夏休みが終わると成田へ戻り、
父親は娘の身を案じ結婚を急がせた。
翌年、再びこの地を訪れた夢二は
彼女が嫁いだことを知り、
自らの失恋を悟る。
この海辺でいくら待っても
もう現れることのない女性を想い、
悲しみにふけったといわれる。
宵を待って小さな花を咲かせる
マツヨイグサに思いを重ねて
実らぬ恋を憂う気持が
この詩を着想させた。
・・とまぁ、こんなお話。
詩を書かなければ、ただの浮気者で
女性にとっては、危険人物・・・
カタの父親の判断は正しかったと思う。
カタにも夢二にも!
カタは、無事に結婚し、夢二は、素晴らしい
詩を残した・・・。
夢二が亡くなって4年後の1938年に、
その爆発的人気にあやかり『宵待草』
という映画が企画された。
その際、映画の主題歌にはこの3行の歌詞では
短すぎるとして、夢二と親しかった
西條八十によって新たに2番の歌詞が加えられた。
「宵待草」第2番(西条八十)
暮れて河原に星一つ
宵待草の花が散る
更けては風も泣くさうな
ところが、右の写真で判る様に
花は散らずにしぼむのです。
日本の歌謡界の巨星、西条八十様にして
このような間違いをするのですから・・
僕のシンフォニーでの
鯛もヒラメも三枚におろせて・・・
『鯛は三枚におろしますがヒラメは
縁側の部分を別にするので5枚におろす』程度の
間違いは、有ってご愛嬌・・てなもんでしょう!
さっそく改稿されました。
暮れて河原に星一つ
宵待草の花のつゆ
更けては風も泣くさうな
苦心の末完成した第2番が歌われることは
ほとんどなかったそうです。
宵待草
2013年12月7日土曜日